図書館の始まり
最初に図書館を日本に紹介したのは、あのお札で有名な福沢諭吉。1869年(明治2年)「西洋事情」が大ベストセラーになり、
その著書の中に、「西洋諸国の都府には文庫あり。ビブリオテーキ(=図書館)と云う。」
この一文から全てが始まりました。
すごいですよね、文章って。私もこんな影響力のある文章を書いてみたいものです。
今はまだアクセス数も少なくて誰も読んでないだろうなぁと思いながらもこれを書いているのは、やっぱり図書館の良さを伝えたらいから。
その気持ちだけは、偉人、福沢諭吉さんと一緒なのかもしれません。
読書とは縁結び?
本という形ではなくても、知識や思想、文化が集約された資料などは、随分昔からありました。
でも、今のように誰でもが気軽に見られるといことではなく
昔に遡れば上るほど、時の権力者が牛耳ったものです。
最初は、権力者が。その次は貴族、大名。よくあるピラミッド構造ですね。
領土を拡大したい大名は、
あの貴族とお近づきになりたい
そう思った時、一番手っ取り早いのは、その貴族との共通言語を学ぶこと。
それは、本当に言語のことを言っているのではなく、文化。
貴族の文化を知らなければ、話したところですぐに会話は終わってしまう。
ご縁を繋ぐどころかその場で切れてしまうかもしれない。
例えば、ロボットが好きな人に一生懸命植物の良さを語ったところで会話はそう長くは続かない。
就活生が、日経新聞を読むのもそれと似たことかもしれませんね。
年の離れた面接官との話題には新聞ほど持ってこいのものはないですからね。
戦争や権力争い、領土の拡大、どの時代もそうかもしれませんが情報が物を言うのです。
だから、図書館という名前はないにしても、貴族文庫、武家文庫、はすでにできていて、
本や資料は大切に保管されシャアリングされていたのです。
その当時は、領土拡大とか権力争いだったかもしれないけれど、
だって、すごくロマンチックですよね。
本は時に人生を変える
今は、動画や写真、SNS、時間の奪い合いかのように沢山のコンテンツがありますよね。
そして、みんなで楽しむものが主流で、みんなでコメントしたりいいね!したり。
それが悪いわけではないけれど、内側から湧き上がる深い癒しや感動のような自己対話は難しいかと思います。
そんな中、どんなに時代が変わっても本だけは、著者と読者の一対一なのです。
著者が何を言いたいか、何を伝えたいか、それを読み解くのが読書だと私は思います。
だから、時に本は、その人の人生を変えるのです。
そして、本の良いところは、ずっと待っていてくれるところです。
スピーディーな時の波乗りのようなSNSとは違い、もはやずーっとそこに在り続ける。
何年も何十年も。
私は、図書館司書という仕事に誇りを持っていますが、どうしても嫌いな仕事があります。
それは、廃棄処理。
例えば、人口5万人くらいの都市で、大体10万冊くらいの蔵書がある図書館が普通なのですが、その規模の図書館なら、予算にもよりますが年間数千冊購入し、それと同じくらい捨てなければいけません。
毎年、新刊は出るし、受け入れっぱなしでは書庫がいくらあっても足りません。
頭では理解できていても、実際廃棄処理する時は、本当に心が痛む思いです。
本とは?
まだ文字がなかった頃、人間の思想や感情を伝えるためには、口頭でしかありませんでした。
つまり、ものすごく曖昧な記憶に頼るしかなかったのです。
大切なことは何かに記しておきたい、そう思うのは当然のこと。
人には、ずっと生きていきたい、私は誰しもそんな思いがあるのだと思います。
生き続けるとは、肉体的には無理ですよね。
だけど、本があれば生きた証になる。それは、その人の思いが残るから。
私は、廃棄処理をするとき、苦しいのは、その思いを捨ててしまうようだからです。
今は、電子化できますが、やっぱり紙媒体の重みはそれとは雲泥の差です。
図書館は、本と人と結びつけるところなのですが、
私は、思いと人を結びつける場所だと思っています。
図書館とは?
さて、図書館とは?その問いにあなたはどう答えますか?
最初の表面的なイメージと変わっていたら嬉しいです。
この場所は、私と一対一。時々、難しいことも言うかもしれません。
その時は無理に理解しようとしないで。
元気な時に読みたい本と落ち込んだ時に読みたい本が違うように、その時々で入ってくる文章も読みたい本も違う。だから、分からない時は置いといてくださいね。