お茶のはじまり
お茶の木自体は、インド〜中国南部が原産と言われ、お茶を飲む習慣は中国から世界へと広まりました。
日本には、中国・唐の時代(618年〜907年)、中国文化の一環とて遣唐使らによって伝えられたと言われています。
それは、粉末状の抹茶という形ではなく、茶の葉を蒸して固めた「団茶」と言われ、飲む時はほぐして釜の湯で煮出し、茶碗にすくって飲む方法だったと言われています。
その当時、団茶は、とても貴重品だったので、天皇や貴族などで飲まれていたようです。
抹茶のはじまり
今も馴染みのある粉状の抹茶、それを広めたのは、「栄西」という鎌倉時代の僧だと言われています。
栄西は、仏教の研究に中国に渡った際、禅と抹茶法を日本に持ち帰りました。
禅では、抹茶は、坐禅修行の際に眠気覚ましと栄養補給として用いられていたのです。
茶道には、深い教えや精神性があるのは、そもそも禅と共に日本に伝わったからですね。
のちに栄西は、鎌倉寿福寺の住職になり、1214年、二日酔いに悩まされていた鎌倉幕府3代目源実朝へ一服の茶を献上しました。
抹茶は、蒸して飲むお茶と違い、茶の葉をそのまますり潰して摂取するため、二日酔いには効果的面だったのです。
そして、お茶を飲むことを、今も「一服する」そう言います。
それは、薬を服用するという意味である服。その当時は、薬のような位置づけだったためその名残だと言われています。
茶文化
鎌倉時代後半〜室町時代前半にかけては、中国から唐物と呼ばれる茶入、花入、香炉などが輸入され、
それら茶道具を使って茶を飲まれました。
それだけでなく、闘茶というお茶の産地や品質、味を飲み当てるゲームも流行ったそうです。
この闘茶は、貴族や武士、庶民にまで広まり、贅沢で危険な集まりだと禁止された後でも100年続いたと言われています。
また、室町幕府の将軍や大名たちは、会所と呼ばれる建物をつくりお茶を飲む、喫茶の場を作りました。
その会所は、最初は板の間に椅子に座ってお茶を飲んでいたそうですが、のちに畳になりその座敷で道具の飾り方なども定まったそうです。
まだまだ、茶道や茶室という名前こそありませんが、その片鱗は垣間見えますね。
一方、庶民の間では、寺院や神社での門前など人が多い場所にて、一服一銭のお茶が広まりました。
さらに茶道具を棒に吊るし肩で抱えて移動する荷ない茶屋も現れ、のちには、お店を構える者も出てきました。